ブログに母の介護のことを綴るようになったのが昨年の2月。一緒に瑠璃光寺に行ったことを綴ったのが最初。その頃、母はまだ歩けていました。

あれから今日で1年。
母は車いすでの生活になり言葉もほとんど出ない。右手には少しだけ力を入れることができますが左手は全く動かせない。たった1年でここまで症状が進んでしまうのかと。
このブログで綴っている母との日常や想いはある程度、介護の方向が見え始めてきてからのこと。
母を施設にお願いするまでのことはこちらで少し触れてはいます。

ですが、ここでは書ききれない壮絶なことが家族間では起きていました。
周りの人は言います。
家で介護できないの?
そのくらいやってあげたら?
お母さんは家に居たいと思うよ
そんなことはわかってる。母が家にいたいと願っていることくらいわかってる。それでも決断しなければならない状況になっていました。
今でこそ
このブログをご覧いただいていたいる方には私たちは家族間の仲も良く、介護に対することも意見がまとまっていて協力し合って上手くやっている理想的な形に見えるかもしれません。今週はあそこに行った、自宅に連れて帰って一緒にご飯を食べた…。
確かに、仲も良いと思いますし家族みなで協力し合って前に進んでいます。でもそれは「今でこそ」です。最初から今の形だったわけではありません。
家族間での意見の食い違い、言い合い…もちろんありました。家族間というか、私たちはふたり姉妹で他に兄弟はいません。なので意見がぶつかったのは私たち姉妹ふたりの間でということですね。
今でもそう。やはり意見が合わないことはあります。お互い言葉にしないだけで思うことはいろいろです。
家族・身内の協力はとても大きい
義理の弟は見守る形でいてくれました。
介護にも協力的で、母をおぶって移動させてくれたり、妹が大変な時は掃除や洗い物など何も言わなくてもやってくれていました。妹のことを本当に大切にしてくれています。
仕事で疲れて帰ってきても妹は母のことでバタバタしていて疲れ切っている。夕飯の準備がまだ出来ていなくてコンビニやお弁当屋さんで買ってきたお弁当でも、「いいよ、いいよ」と笑顔で。それが仕事と介護を両立させている妹にとってどれだけ救いになっているか。
介護する人の旦那さん、もしくは奥さん、その他身内の方が協力的かどうか…ここはとても大きなことです。
介護を経験して思うのです。介護は嫁の仕事だとか、血がつながっているあなたがやるのが当然でしょうとか、同居している兄弟がするのが当たり前だとか…施設に預けるなんてとんでもないとか。
そういうことを言う人に限って何もせずただ遠くからぼんやりと見ているだけ。
私たちの場合、妹と私とでさまざまなことを分担して協力しながら介護をすすめています。でも、それも最初は母と同居していた妹に任せっきりにしていたんです。正直、それほど深刻だとは思っていませんでした。情けないですよね。
妹の様子がだんだんとおかしくなりはじめ、ようやく事態が把握できた時には最悪の状況に向かって進んでいるような状態でした。そこから今の状態になるまでに1年以上かかりました。
妹と喧嘩もしました。罵り合いのようになったこともあります。顔も見たくないと思ったこともありました。お互いがお互いの意見を落ち着いて聞いているかのように見えて、でも実はふたりとももう目が違う。目に苛立ちや腹立たしさが見て取れるんです。
それは妹も私に対して同じような気持ちだったのではないかと思います。
もし、義弟が協力的でなかったら…。
私たちが苦しみながらも何とか前に進めたことに、まだまだこう出来たらと思うことがありながらも今の形をつくることができたことに、義弟の優しさがとても大きかったことは間違いありません。
ブログでその壮絶だった時の様子にほとんど触れないのは、今、多少落ち着いた状況になってきていてもまだあの頃のことを思い出すのが苦しいから。書き始めると辛くなって書けなくなってしまう。その頃をどう乗り越えたのか、どう対応してきたのか…そこを知りたいのにと思われている方も少なくないと思います。
わかっていても書けない。
誰かが突発的な行動に出てもおかしくないような状況…それを思い出すのが怖くて。介護の現実はそのくらい壮絶です。いつになるかわかりませんが、いつかその頃のことをブログに綴れたらと思っています。
私たちが母のことをしっかり考えながら前に進められるのは、母を施設にお願いしているということも大きいです。施設にお願いする際にも私と妹の間で多少の言い合いというか意見の違いはありましたが^^;
もし現在、親御さんを施設にお願いするか迷っておられる方は以下の記事をご覧になってみてください。

